トラウマに、人生の目的は隠されている(P.82)

「須磨寺のお大師さん」と親しまれている真言宗のお寺。今日、12月21日は「終い大師」の日です。参拝してきました。

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弘法大師(空海)を信仰する大師信仰は、高野山信仰・四国八十八か所札所巡り・厄除け大師信仰などに代表されるように広く民間に広まっている。真言宗寺院では承和2年(835)に入寂した弘法大師の忌日である3月21日にちなんで毎月21日に弘法大師を供養する法会が行われ縁日が開かれるが12月21日はその年最後の縁日として「納めの大師」「終い大師」などとよばれて参拝客で賑わう。(出典:季節の便りウエブサイト)

 

悲しみは人を深くする(P.76)

「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」が2016年11月10日発売された。当時のファミリーコンピュータを約60%に小型化したミニチュアサイズで“再”登場!当時のファミコンのカセットを差し込んで使うことはできないが、この小さな本体には、アクションゲームからロールプレイングゲームまで、ファミコンが発売された1983年から93年までの11年間に発売された30タイトルがあらかじめ収録されている。

昨日、我が家でもファミコンミニを直ぐに出来るのは、その時代に実際にゲームを楽しんだ息子たちと息子の嫁であるが家族で楽しんだ。

人生の試練をあらかじめ想定しておく(P.73)

12月11日、『人生楽ありゃ 苦もあるさ』の時代劇水戸黄門の主題歌を投稿した。人生、苦しいからといって、そこから逃げ出してしまうと、苦しみから逃げ出せない。たとえ大きな壁に突き当たっても、自分なりに一生懸命努力すると必ず解決できる。

いつの時代にも『いじめ』がある。いじめられる人には全く原因は無い。いじめる方の言い分に『あいつはいつもいい加減だし。それによく嘘をつくから、いじめられても仕方が無いよ。原因はあいつにあるよ』。これっていじめる方の、自分中心の勝手な事を言ってるだけ。いじめる方が一方的に悪い。

ネガティブ思考の沼から出る(P.71)

我が子が小学生の低学年の頃。私が家の玄関の扉を開け帰るやいなや『パパお帰り!』と飛んでくる。今は孫が遊びに来ると、『じぃじ~ぃ!』と玄関から廊下を走ってくる。

前者は仕事に疲れて帰ってきても、いっぺんに吹き飛んだ。後者は最高の幸せを感じている。

ポジティブ思考の限界(P.68)

亡き妻に通販とかのお店からたまに電話が掛かってくる。初めての時は返答に困り不愉快だった。でも考えてみると相手は何も知らないのである。

今は『買い物に出ています』と返事する。同じ事を繰り返し返事すると、本当に買い物に行ってるような不思議な感覚になる。

苦しみ、挫折は「期待する」から起きる(P.66)

我が息子は某大学へ『特別推薦』で入学した。特推をもらえると私は大変喜んだ。しかし、夏休みに決まってからほとんど勉強しなかったようだ。そして、学生生活を謳歌し、卒業するのに大変時間が掛かった。

一時私は『もう大学を辞めて働いたら』と言った。息子は『ここまで来たら必ず卒業する』と言い切り、七年半も掛かったが卒業した。

今考えてみると、それがよかったのか。親が援助した学費は四年間で、残り三年半は自分でまかなった。その時に、自分の進むべき道を確立していたようだ。そして今は、起業してしっかりとした自分の道を歩んでる。親として誇らしい。今は『老いては子に従え』である。

ストレスがないときは、一生やってこない(P.62)

予てより『やらなくては!』と思いながら、結構時間が経った。リビングのドアに孫が勢いよく当たってくる。幅15cm、縦170cmがガラスになっている。今まで余り閉めることが無かったので、そのままだった。寒くなって閉めることが多くなってきたので、今日は朝からドアのガラス部分に飛散防止フィルムを貼った。思ったより難しい。

説明書には『ガラス面に石けん水を吹き付けてヘラで汚れを落とす』となっていた。ガラス部分には孫の手形が付いてるので雑巾で拭いた。雑巾などで拭くと繊維が残ることがあるので最後はヘラで落としてゆく。ヘラで全面汚れを落としたつもりだったが、貼り付けた後1cmぐらいの小さな髪の毛を見つけた。

どうしよう?それからガラス面の端を2mm程空けなくてはならないのに、カッターでぎりぎりに切っていった。これがいけなかった。うまく気泡が抜けない。ここで2mm空ける意味がよく分かった。悩んだが、まだフィルムは半分残ってるのでやり直した。さすがに2回目はうまくいった。

いままでの人生で後悔していることは?(P.59)

焦ることは無い!
人生ぼちぼちやっていこう!
人生なるようになる!

「ケ・セラ・セラ(Que sera sera)」という言葉があります。スペイン語で「なるようになる」「明日は明日の風が吹く」といった意味の言葉です。(出典:Weblio類語辞典からまとめる)