自分が悪いと思えば『素直な気持ちで謝る』。そして、先ずは自分の気持ちを抑え相手の思いをしっかりと聞こう。そこに自分との捉え方違いが必ず見つかる。そこから話を切り出そう。相手の捉え方が間違いであると思っても、それを否定するようなことをしてはいけない。相手も同じように『あなたの考え方が間違ってる』と思ってるからだ。
月別アーカイブ: 2015年3月
「チャンスさえくれば」と思ってると、チャンスはやってこない。(P.98)
友達のように話そう。友達になれる。(P.95)
年のせいか、最近はよく涙する。頬が重力に負けてるように、涙腺も緩んでいるのは確かだ。
昨日は、甥っ子の結婚式だった。結婚式から甥っ子の弟が涙している。披露宴に入った。同年代の男性も涙しているのに気が付いた。私がよく涙する状況を目にするのは、花嫁が感謝の気持ちを両親に伝える手紙を読んでるときの新婦側の女性友達だ。私も胸にグッとくる。結婚式で友達の男性が涙することは、今までになかったことだと思ってる。時代の流れで草食男子といわれる男性が多くなったためなのか。男性も慶び事で感情を素直に出せるようになってきたのは良いことだと思う。
披露宴の最後にビデオが流れ、これまでお世話になった方が字幕に出た。その中に亡き母の名前があった。目頭がとても熱くなった。
人を動かすには耳を働かせなさい。人に好かれるには口を動かしなさい。(P.92)
人は友人の望み通りの人になっていく。望みの高い友人をもとう。(P.89)
ひとりでいることと孤独とはまったく違う。-アメリカの作家 エレン・バースティン(P.89)
人間は孤独では生きて行くことができない。私はひとり暮らしをしている。義母はまだ独身の息子(次男)と一緒に暮らすことを望んでいる。私は保守的ではないと思うのですが、同じ屋根の下に成人した男性は一人でよいと思ってる。つまり、家長は二人いたらダメになる。だから、私の長男は成人になったとき、次男は大学を卒業したときに、それぞれ家を出て行った。私は『しっかりと一人前に成るんだ』と期待し、家から出て行くことを賛成した。だが、亡き妻はそうではなかったらしい。後で分かったことだが『一抹の寂しさ』というより、身を引き裂かれるような寂しさがあったようだ。私はもう『老いては子に従え』である。息子たちには何も言うことはない。しかし、対義であるが『老いたる馬は道を忘れず』も忘れず、いざといったときには縁の下の力持ちになれるように、いつも息子たちのことを考えている。また、一生懸命、親のことを考えて行動する息子の様は誇らしく思う。
気配りに、「今度」という言葉はない。(P.84)
夫を持ったり、子どもを持ったりするたびに、人間の心の眼は開けてゆくものだよ。(P.86)-川端康成『結婚の眼』
映画「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」を観た。モノクロ映画だが、モノクロであるが故のストーリーの素晴らしさがあり親子の絆が見えた。
<あらすじ>頑固な老人ウディのもとに、当たれば100万ドルを贈呈するという手紙が届く。当たったと信じたウディは歩いてネブラスカ州を目指そうとする。高速道路に入ろうとするウディを見つけた警官は、直ぐさま自宅へ送り届ける。妻や周囲の声にも耳を貸さず、是が非でも賞金をもらいに行くといって聞かない。そんな父ウディを見た息子のデイビッドは、少しでも父の気持ちが修まるならと、車でネブラスカ州を目指す。途中、立ち寄った父の故郷で繰り広げられる人間の欲、また、父の元彼女が父と結婚できなかったが、前向きに取り組み地元で生活する老女の姿勢。そして、帰路で息子の取った行動が素晴らしかった。
第一印象は、訓練で変えられる。(P.79)
うまく話そうとするとうまくいかない。普通に話そうとすればうまくゆく。(P.75)
昨日、買い物に行ったとき、私の前にいた年配の方(多分70歳は超えていると思った)が、何か物を2個買ったのか『ニコニコ・・・買い物楽しいね』と楽しい会話。レジの方もその会話を楽しく受けている。お金を払ってお釣りを貰ったとき、その年配の方は『毎度ありがとうございます』と言って立ち去った。その自然な振る舞いは、今、お題を戴いてる『言い言葉は、言い人生をつくる』そのものだった。
(このブログについて“初孫日記(KIZUNA)へようこそ!”で説明しているように、必ずしも掲載内容は表題を必ずしも意味するものではありません。そのページを読み直しているが、ふと思ったこと感じたことを投稿しているので悪しからず)
気持ちを合わせるには、言葉を合わせれば簡単。(P.70)
小さなことをほめよう。同じことでも何度もほめよう。(P.67)
やってみせ、言ってきかせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ。-連合艦隊司令長官 山本五十六(P.67)
祝日法でも春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」とされ、秋分の日は「先祖を敬い、亡き人を偲ぶ日」と定められています。
出典 お彼岸の意味