抱っこできるのは今だけ ~抱きぐせなんて、気にしない(P50L1~2)

孫がきたときに、寝かせて調子よく遊んでいれば、抱っこさせてもらえない。しばらくするとぐずってくる。「待ってました」と言わんとばかり、抱っこする。

まだ首が据わっていないので、横にして抱っこすると、力一杯手足をばたつかせ泣きじゃくる。そして、疲れてジイジの腕の中で気持ちよく眠いる。至福の一時です。

意欲のある子と、そうでない子の違いは?(P45L5)

昨日のニュース番組で『ミドリガメ(アカミミガメ)によってレンコンに大きな被害が出ています』放送があり、その番組のコメンテーターが「そうなんですよ!私の娘も飼いたいと・・・『自分のこともきちんとできないのにダメだ!』と言ってやりました」と言っていた。あれれ?子どもの気持ちを頭から否定してしまった。

◆心配な症状が現れるのは、しつけが悪かったからでしょうか(P43L1~2)

問題を起こしたりすると、「あれは親のしつけが悪かったからだ」といわれたものです。(P43L4~5)

スーパーの中で走り遊んでいる子どもを見かける。困りものです。自分が押している買い物カートとぶつかったらどうしよう。私の目の前で、子どもが商品を積んでいる箱にぶつかり、積んであった商品が見事に散乱した。子どもはどこに行ったのかわからない。店員が二人来て笑顔とは云わないが、速やかに表情明るくサッと片付け、何事もなかったように自分の持ち場に戻った。店員の様子を見ていて心が落ち着いた。『親は何をしてるんだ!しっかりと子どもを見とけよ!』と云ったような表情をして片付けをしていたら、『所狭しと商品を積んでいるお店が悪いんだ』と思うだろう。

だれが正しくてだれが間違っているわけではない、それぞれの意見には、それぞれの歴史と必然性がある・・・(P38L8~9)

お互い意見が違うと、一寸したことで自己防衛のために攻撃的になってしまうことがある。やっぱりコミュニケーション大切さである・・・日頃から思うことを控えめで話しをするかな・・・?そうするとうまく話が通じない・・・?焦ることがダメか・・・?

『石橋を叩いて渡る』 それはいかがなものか!
『当たって砕けろ』 そして問題が起これば、そこからがスタートです。Go!

世代によって、考え方は違って当然です(P36L1)

何時の頃だったろうか・・・神戸はハーバーランドのスポーツクラブに通っていた頃である。観光客が多いので時間帯と場所を間違えると、カメラマンになることがあります。自分も良い写真を撮りたいので、人が居なくなる隙を見つけてシャッターを切ろうと待っていると・・・「シャッターお願いします」次また「写真お願いします」・・・『おいおい!俺はカメラマン(添乗員)ではないぞ!』と思っても、デジタル一眼レフカメラを買って、嬉しそうな私の姿がカメラマンそのものなのか?『この人に撮ってもらったら、きっと上手に撮ってくれそう』と思われたのか(笑)左の写真がその時のものです。どうしても人が入ってしまいす。

それはさておき、時は違うが、同じくハーバーランドで「シャッター押して頂けますか」「良いですよ。ハイ!チーズ!」と撮り終えると、その中の一人が、何も言わずに、私が手にするカメラを奪い取るように、サッと持って行ってしまった。同じグループの人たちも唖然としていた。私は「唖然」を通り越し固まって『笑顔』でその場を後にした。なぜ笑顔になったのか、動揺したら顔を見せたら恥ずかしい。年配者としてゆとりを見せたかったのだろうか?

お願いするときは「笑顔で」、二度と会うことがないので、後は「知らんぷり」それで終わり・・・『一期一会』とは云わないがちょっとした出会いは大切にしたい・・・

自己肯定感は、子どもだけでなく、母親にとっても、本当に大切なこと・・・(P31L1)

子どもを育てて、「どこが悪かったんだろう?何が悪かったんだろう?本当にこれでよかったのだろうか」と悩むことがあると思います。しかし、子どものことで必死に悩み、自分なりに何とか解決して、頑張って育てた母親に間違いはあったのだろうか?「必死に子どもを育てた、母親の行動には、失敗はありません」自信を持ちましょう。『女は弱し、されど母は強し』

(3)母親の子育てを否定せず、ほめる(ようこそ初孫P30L1)

人は、ほめられて嫌な気になる人はいない。そう云っても、どうほめていいのかわからない場合が多いと思う。気になることがあれば、直ぐにでも小言を言いたくなる(言ってしまう)ようなことはよくあることです。ここは人生の先輩です。はやる気持ちを抑え、前にも書きましたが、人(息子の嫁)の話をしっかりと聞きコミュニケーションをとることです。そこに必ず答えがあり、素直にほめることもできるでしょう。

(2)祖父母の役割は、基本的に父母のサポート(P27L2)

同じ屋根の下に、指導者が二人いたらこ困るね。子どもは自立するまで、親に依存します。しかし、可愛さあまりについつい何でも買い与えてしまいそう。

本日の放送(2012/08/24)NHK連続テレビ小説『梅ちゃん先生』で、加藤(下村)松子が「孫をかわいがるのはいいですが、子どもを育てるのは私たち夫婦なのです」と云ったような場面がありました。そして、母(加藤昌子)は反論して「この子は大切な我が家の跡取り・・・」。その後、加藤松子は謝り、母親と祖母との役割分担(父母のサポート)を提案して丸く収まった。

時代設定が戦後の混乱期から始まったので、祖母の力は強いはず・・・これはテレビです。今の時代のことも反映されていると思います。よくできている連続テレビ小説です。面白い!

 

(3)異なる価値観を伝えられる-(ようこそ初孫P22L1)

さまざまな価値観に触れながら成長することは、とても大切なこと・・・(ようこそ初孫P22L1)

たまに聞く言葉で、自分の家内のことを“愚妻”、子どものことを“愚息”と言うものだ。仲間内で口癖のように言っていたらあまり気のいいものではない。しかし、自分の半身であり、よく家を守り、子どもを愛情たっぷりに育てた妻である。息子も一人前になり、親にきちんと意見を言えるようになったことを誇りに思う。だからこそ、私はちょっと高尚な場で使ってみたい気もする。

“愚妻・愚息”使うのは難しい。「愚かな妻とは何ですか!」と言われそう。『全然いいです』『全然大丈夫』といった使い方もそうかな?武士道と一緒にしてはダメか!まあいいではないですか・・・思ったことを記します。場の流れを考えず、その言葉だけを使うと誤解されます。『全然+肯定』がバツで、『全然+否定』がマルではない。言葉は生きています。だから、『全然いい』と言っても全然OKです。

価値観が多様化することはいいことだが、それだけ複雑になり悩むことがあるでしょう。悩めば悩む程、人は成長すると思いますが、小さな子どもにとってはとても急な坂道でしょう。上れなくなったらいつでもジィジの所に来なさい