◆読み聞かせが育む想像力(P113L1)

徒歩15分以内に、スクールバス数台を持つ、大きな幼稚園が二つある。よく、その一つの幼稚園の前を通る。初めは園児の迎えだと思ったが、その様子はなく数名の若いお母さんが、子どもの様子を携帯電話(写真・動画?)に収めている。何となく気持ちは分かるが、子どもと離れると母親はそうなるのかな?徒歩3分の小学校は、親御さんが校庭の中に入って、子どもを見守っていた。さすがに校庭では携帯電話等で撮影はしていない。私の部屋からは、その小学校の校庭はよく見える。

ヘリコプター・ペアレンツ・・・この親御さんは本当に困る。何かあると数分で学校に来る。私?・・・になりそう。ダメである。孫の基本的教育は両親にある。

大人が幼かったころの体験談は、子どもをわくわくさせる(P112L1)

私が子どものころ(昭和30年代)は、何でも大きく見えた。空き家があった。近所の子どもが集まり、探検です。大きな屋敷に入ったみたいで楽しかった。部屋の押し入れの2段目にゴザが敷いてあった。段からゴザの縁がはみ出ているのを知らず、私はゴザの縁に手を置いた。もちろん、そのまま転落です。大泣きをした。蜘蛛の子を散らすように皆いなくなった。

(昭和30年代)古釘を集めて、金属を回収しているところに持って行く。お小遣いになった。町で電気工事をしている人に余った銅線を、丸いアンテナのように綺麗に細工したものをもらったことがあった。家に持って帰ったら、『どこから取ってきたのか』と泥棒扱いされた。その時代の銅は大変貴重品だった。

大学時代(昭和50年)に店内改装のアルバイトで、解体して出た金属を “アカ(銅)、キ(真鍮)、クズ(鉄)” に分けて金属回収業者に持って行ったことがあった。クズ(鉄)の値段だけ覚えている。1Kg=10円でした。この時も良い小遣いになった。

生き生きとした姿は、そのまま人生の豊かさを伝える(P111L1)

昭和30年代のかまぼこ兵舎が残る時代であった。山に入って基地作り。空き地での戦争ごっこ。国鉄の資材置き場で枕木を使って隠れ家作り。靴会社が多かった我が町、型抜きで残ったゴムを空き地に山積み。そこには結構隙間があり探検できる。息子の時(昭和50年代)はまだ空き地はあったみたいだ。握り拳ぐらいの石を爆弾と称して投げ合ってみたい。それが息子の頭に当たった。医者に行ったら先生は、まだそんな遊びがあるんだと変に感心していた。

昨日、息子から写メが送られてきた。孫が寝返りをした。

 

と思ったが、今日の朝、息子が来たので聞くと、寝返りの練習だった。

◆遊びは、子どもに大きな好奇心と夢を与えます(P109L1)

最近の車を見ると、ほとんどナビが付いてある。とても便利な装置である。昔はナビが無くても、よく運転したものだ。知らないところに行くには、予め地図をしっかり見て、ある程度頭に入れておく。そして太陽が出ていれば、大きく道を間違うことはなかった。アメリカでドライブの旅をしても同じであった。ロスに住む人でも、ダウンタウンを抜けるのは大変だそうだ。日程に余裕がなかったので、自分が運転する車で、午前中にナッツベリーファーム、午後はユニバーサルスタジオに行ったこともあった。今はナビがなかったら、たちまち困ってしまう。

子どもの遊びは、今も昔も変わらないはず。しかし、我々大人が色んな電子機器のおもちゃを与えてしまう。温故知新、簡単な竹細工で竹とんぼがある。竹とナイフがあれば直ぐに作れます。ナイフの取り扱いに注意して、作ってみませんか。いや、折り紙も良いね。

孫と遊ぼう! ~遊びや昔話は、人生の豊かさを伝えるチャンス(P108)

孫の世代の育児を楽しみ、地域にも貢献するこうしたおじいちゃんを、NPO法人「ファザーリングジャパン」(東京都文京区)は「イクジイ」と定義。これまで育児に積極的に参加する男性「イクメン」を応援してきたが、今春、孫育て講座やジジ料理講座を開く「イクジイプロジェクト」を立ち上げた。 (ホームページ:おうまのおやこ通信Vol.205から転記)

いやいや、あるものですね。どんな活動をしているのか気になるのでリンクする。

イクジイプロジェクト 笑ってるおじいちゃんが社会を救う

http://www.fathering.jp/ikujii/

◆「あまりにもいい子」「やりたい放題の子」それぞれの接し方(P106)

「食べるときは、ひじをつかないほうが、かっこいいよ」「靴を脱いだら、そろえておくと気持ちがいいね」(P107L4~6)

マンションに変わってから8年目である。昨年は輪番で廻ってくるマンション理事会の理事をした。しかし、そんなにマンションの方とコミュニケーションが取れたとは思わない。それよりか、昨年の理事の方とマンション内で会うと、今まで以上に笑顔であいさつする方と、理事の時とは打って変わってはっきりとあいさつされない方に二分してしまった。何だろう?

以前住んでいた地域に戻ると、近所の方とちょっとした世間話になる。でも、今年は孫ができ、同じ階のお母さんと少し話しするようになった。「大きくなられましたね」「私の孫は、まだ3ヶ月です」等々・・・と簡単な言葉を交わすだけであるが、嬉しいものである。

触れ合いのチカラ(2012/09/20神戸新聞くらし)

◆優位な感覚を把握して
人は誰でもほかより優位な感覚があり、大きく触覚(体感覚)型人間、視覚型人間、聴覚型人間の三つに分類できます。

触覚型の人は、皮膚感覚や身体の筋や組織の感覚に敏感です。ですからたとえば語学の学習をするときは、つづりを何度も書くと覚えやすいでしょう。また身体の快感や不快感に敏感で、それをもとにいろいろなことを感覚的に判断する傾向があります。

それに対して視覚型人間は、物事を視覚的に理解、把握するのが得意なので、ビデオをみたりカードをみたりして覚えるとよいのです。そして聴覚型の人は、CDなどで音声から覚えると効率よく学習できます。同じことはコミュニケーションにも当てはまります。

相手がどの感覚が優位かを見極めて、それに合った方法でコミュニケーーションするのです。

たとえば触覚(体感覚)型の人は、体の感覚を確かめながらゆっくり話をする傾向があります。そのようなタイプの人は身体の感覚を大切にするため、贈り物には着心地の良い洋服、手触りがよいもの、適度な重さがあって持ったときに身体で感じられるものなどを贈ると喜ぱれるでしょう。またスキンシップも好きですから、手をつないだりして触れ合うと効果があるでしょう。

それに対して相手が視覚型の人ならば、部屋を飾る花やセンスの良い洋服などを贈ると喜ぱれるでしょう。

聴覚型の人なら、言葉でじっくりと気持ちを表すとか、好きな音楽のCDなどを贈ると、喜ぱれるでしょう。視覚型や聴覚型の人は、相手と距離をとろうとするので、いきなり触れないことが大切です。

このように相手の優位な感覚を把握すると、コミュニケーションを円滑にすることができます。(山口創・桜美林大准教授)2012/09/20神戸新聞くらし


何となく分かるが、コミュニケーションを円滑にとるのに、こんなにも複雑とは思わなかった。ぼちぼち考えます。先ずは自分が思う接し方が一番と考え行動します。

◆祖父母だからできる、しつけとは(P102L1)

子どもは親をよく見ている。と云うより、大人をよく見ている。
私たちは結構横断歩道の信号を守る国民と思っている。我が町のJRの駅南の信号機のある小さな交差点での出来事である。その交差点で中学生数人のグループと出くわした。そのグループの一人が「赤信号みんなで渡れば怖くない」と言った。久々に聞いた言葉だったので、心の中で笑ってしまったが、みんな信号を守っていた。

違う日の日曜日である。我が町の小学校の近くにある、信号機のある交通量の少ない交差点である。私はコンビニに寄った帰りで、丁度赤になった。ためらわず渡った。何か後ろから視線を感じたので、振り返ると小学生が信号を守っていた。それだけではない。住んでるマンションに着きポストを見て、玄関に戻ると、その子と出会ったのです。「こんいちは!」と先にあいさつされてしまった。何とも云えない後味が悪かった。反省している。

しつけのしかた  ~指示や命令でしつけるのではなく、 大人が身をもって示しましょう(P98)

◆しつけは、家庭によってさまざまです(P99L1)
とある学校で、こんな事を聞いた。親御さんから「勉強は家でさせますので、学校ではしっかりとしつけをお願いします」とさ。たくさんの生徒と接して、その親御さんを見ていると、時々そう思うことがある。

小学校の時は元気よくあいさつをしていたのだろう。高校になってあいさつができない生徒がいる。しかし、その生徒の目をよく見て下さい。「できない」のではなくて、わざとやっていないのです。目をそらし、その場を通り過ぎてしまうのである。その生徒の今の家庭環境を見れば分かるのですが、こちらは毎日笑顔であいさつを続けることだ。「あいさつをしないと何だ!」と叱っても無駄である。それよりか、その生徒の奥に潜む悩みを聞いてあげよう。

昨日は息子の嫁の両親も来られ、息子の家で孫の御食い初めだった。日に日に大きくなる孫である。祖父母の皆さん孫の将来を決めてる。医者、ピアニスト、サッカー選手・・・まぁ勝手なものだ。