「できること」が増えるより、「楽しめること」が増えるのが、いい人生。(P.16)

花を愛するのに植物学は不要である。-稲垣足穂「横寺日記」

現役時代、本業以外で県の私立学校52校の生活指導部のまとめ役が廻ってきた。すごく不安で逃げ腰だったが、校長が一言「やんなさいよ!」と声をかけられて何故か気が楽になり、やる気が出てきた。今でも思う、不思議だ、その校長の一言でやる気が出た。その短い言葉には『何かあった何時でも面倒見てあげるよ』と聞こえた様な気がした。

GUM02_CL02003時間に追われた2年間だったが、『楽しんだ』ことを覚えている。でも、この時に抱えていたホームページ制作の仕事が、遅れ気味になり通常2~3日でできることが、2週間、またそれ以上掛かる様になった。遅れる原因に『すみません。外部からの仕事が入り、なかなか時間が取れないのです』と言い訳していた。2年間のその仕事が終わり振り返ってみて、『あれ?時間が無くて仕事が遅れたのではない。ただ単に自分自身に処理能力がなかったのだ』と反省し、楽しかったホームページ制作の仕事が『楽しめなくなった』ことを覚えている。

休憩とは回復であり、何もしないことではない。-作家 ダニエル・W・ジョセリン

いい言葉はいい人生をつくる

これから暫く表題は、斎藤茂太氏『いい言葉は、いい人生をつくる』(成美堂出版)より引用する。

GUM02_CL03091何か骨組みがないとなかなか書き出せないものである。最近、目に留まった本だ。

人間であるが故に言葉はとても大切なものである。それなりに還暦を迎え年金生活に入った。ある日、役所に行ったとき、(多分私より5~6歳上)『60歳になっても、未だ未だ働かないかんな!』と言われ、『そうですね』と返事した。また違う日に10歳ほど年下の者と話をした。『私は今は年金生活で、特に仕事はしていません』と言ったら、『それはそれで頑張ってきた人生じゃないですか。それで今があるのですから、それで良いのではないですか』と言われた。思うに、前者の仕事ぶり(その時の一環境だけを見てだが)を見ると『えっ!お宅ら、マジでしかり仕事やってるんですか?机の子守してるだけやん!』と思った。後者は『やっぱり自信を持ってやってる者は違うな』と思った。

実際、仕事をしている方が何かと楽だと思う。何もなしで、目標を持たずただ過ごして行くのは辛い者だと感じる。

この書物のはじめに「『これまでの人生を振り返って、どういう感想をお持ちですか?』と訪ねられたら、私は躊躇なく、『実に楽しい一生でしたよ』と答えるだろう」と記されていた。そんな言葉が気持ちよく言える様に生きて行きたい。

また、このブログを初めから見直し、今はどう思っているのかコメントする。

「ようこそ 初孫の巻」を再度読み終えて!

GUM05_CL13043表紙に『子育てハッピーアドバイス\ようこそ/初孫の巻 孫が幸せに育つため』と書いてあるが、私は『三世代家族が幸せに暮らすため』のアドバイス本だと解釈した。ものの価値観も時代とともに大きく変わったと言われるが、いつの時代をとってもそれは一緒のこと。孫が子を持つ時代になると、また価値観は大きく変わっていることだろう。息子も同じように『俺の時代はこうだったな』とぼやくだろう。お互いの立場・人格を認め、何事も褒めることから始めることだ。

家族でも立場によって、同じものを見ても、同じように見えているとは限らない。物体としての形状は変わらないが、そこから見えてくるものは自分の心にあるものが写り見えてくる。

どうして母親の子育てを、ほめなければならないのでしょうか?(P.181)

お互い褒めることから、やらなくてはならない。思えば子に褒めたことがあっただろうか?記憶にない。これまた反省!息子の嫁も、孫も褒めることから始める。そうだ!父親として社会人としても、よく頑張ってる息子も褒めなくては!今更、ちょっと照れ臭いが、機会を見つけてそうしよう。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA2013年10月に、東京で活動している一世を風靡した有名バンドが某カフェ(ライブハウス)に来ることになり、友達と行くことになった。そのカフェに、私が憧れていたギターが壁一面に陳列してあった。後日、とても気になっていたので店長に話を聞くことになった。今も手作りでコツコツと伝統を受け継いで製作していることが分かった。

そのカフェにちょこちょことお邪魔することになり、親父バンドの方にお世話になる様になった。そして、その年の暮れにギターを買って、練習する様になった。

そのバンドで世話になってる方に、いつも「いいですね! 上手になりましたね!」と褒められてばかり。青春時代に出来なかった事を “ じぃじ ” になってから、させて戴いている。新米で下手にもかかわらず、サポートしてくれるバンドの皆さんに感謝する。

小学2年生の孫が、不登校になりそうで心配です。(P175)

GUM10_CL05022文科相の(1)義務教育の目的に『義務教育は,国民が共通に身に付けるべき公教育の基礎的部分を,だれもが等しく享受し得るように制度的に保障するものである』とある。

どこかの海外留学サイトで小学生の留学システムがあった。答えは簡単だった。子どもが学校へ行く義務ではなく、子どもは教育を受ける権利があって、親が子どもに教育を受けさせる義務があると書かれていた。

その子の環境に合った場所を見つけてあげれば良いのでは?

息子夫婦は、家事も孫の世話も私たちに任せきりです。(P.172)

GUM15_CL09010環境にもよるかも?基本、『子を育てるのは親の役目』である。

私は孫に会うのは、そんなに頻繁ではない。

孫と一緒に居るときは、何だろう?その時間が楽しい。二人目の孫の体調が悪く、一人目の孫を一晩預かったことがあった。私は夕食の準備から慌ただしく動いた。しかし、夜になって添い寝・・・こんな幸せなことはなかった。

どうやら孫が左利きのようです。矯正しなくて大丈夫でしょうか。(P.170)

左利き?好きな様にさせては!

お食い初めFacebookが一般化してどの位経つのだろうか? 教え子に『〇〇先生もFacebookやってるよ。おのちゃんもやりよ!』と教えてもらって始めた。教え子の成長が垣間見ることが出来る。昨日も『僕、子どもが生まれました』とメッセージがあった。二人目の孫が生まれた月と同じだ。とても便利なツールだ。今では一つのコミュニケーション・ツールになっている。

私は親として子どもに一生懸命接した(どこかで記した様な気がするが、子の幼児期は母子家庭と同じだった。反省?難しい。憧れの職業に就き、仕事に夢中になっていたことは事実である)。ある時、息子に『家に帰っても先生面するな!』と言われたことがあった。ショックだった。でも、今思うとその通りだと思う。気が付かないうちに職業柄そうなってしまったのだろう。今の気持ちは『老いては子に従え』だ。息子に子どもが出来、すごく成長したなと感じている。

初孫日記(KIZUNA)について

前回の投稿が昨年の2月3日であった。気が付いたら1年もの月日が経っていた。2012年6月に初孫が誕生し、同年8月16日から始めたブログであったが、同年10月22日家内の体調が悪くなり入院した。気が抜けたような感じである。投稿する気持ちになれなかった。11月下旬になっても家内の体調はよくならず、入院を続けても回復の見込みはなくなり自宅に帰った。往診などで医師・看護師・介護師の助けも借りたが12月17日に家内は永遠の眠りについた。その前日は孫の少し早いクリスマス・パーティを自宅で家族みんなが集まって楽しんだ・・・。

様々なことを考えた2年間であり、ブログの更新も間々ならず。三回忌も終えて気持ちが落ち着いたわけではないが、残った人生前向きに取り組んで行かねば寂しい人生になってしまう。2014年10月に二人目の孫も生まれ、着実に亡き妻と私の遺伝子は受け継がれている。

<訃報であるが、ここに記す>