私は父親の存在を知らない。女性がそれなりの時期に来ると子を授かると小学生まで思っていた。事実、私に父親ができたのが小学校2年生の時だった。
『何であんな大きな鉄が海に浮かぶんだ、空を飛ぶんだ』といつも言ってる母だった。そんな母親だが、『自分の命をかけてでも子を育てた』。そんな母の意見は必ず聞き、何を子に教えてるのかしっかり言葉の裏に隠れてる意味を理解すること。これは私が結婚して、妻が子を育てる姿を見て、子が大きくなったときに感じた。
【私の人生の岐路②】
☆高校進学
兵庫県方式の入試ではなかったら・・・と思ったこともあったが。
報徳学園を選べる環境下にあったことに感謝する。
☆大学進学
高校のクラブ活動で三カ年間団体優勝をすることができた。恵まれた環境であった。そのお陰で大学を数校選ぶことができた。選択は安易に私にとって一番条件の良い大学を選んだ。一年間寮生活であったが苦になることはなく、仲間がたくさんできたのでよかった。大学二年目の生活は、自分で行動を起こし進まなければならなかった。ただ、自分一人で行動することはあまりなかった。四六時中誰かと一緒だった。
大学4年生(4年目)でアルバイトが中心の生活になっていた。夏休み短期水泳教室での子どもとの出会いで、自分の方向がはっきりと見えた。(2月28日の投稿)
☆就職
☆結婚
☆病気
☆死別
☆還暦(新たな出会い)