人生に満足したければこうつぶやこう。「終わりよければすべてよし」。(P.47)

会えてよかった。生きててよかった。-作家 戸板康二

『合うは別れの初め』出会いがあれば必ず別れがある。

私が若いとき、それは悲しいものであって、人との出会いを少し避けるような傾向が一時あった。教師になって生徒との別れの日は「卒業」であって、悲しい別れではない。生徒の新しい門出を純粋に祝うことができた。そして、新しい出会いは楽しいものになっていた。

母との別れはとても悲しいものであったが、母には私を含め子が3人いて、その子(孫)が7人もいた。悲しさは短い時間の経過で消滅し、母の死を確りと受け止めることができた。しかし、最愛の妻との死の別れが来たときは、こんなに悲しいものはなかった。嘆いた。その死を受け入れられても、納得できない自分があった。とても辛い日々が続いていた。

GUM11_CL02042そして、2年あまりが経ち、新しい出会いを求め自分は行動していた。人間的にまだまだであるが、人との出会いを大切にして『会えてよかった。生きててよかった』と素直に感じられ、言えるように生きて行きたい。

笑うことは、最も簡単な成功法。(P.54)

表面をつくるということは、内部を改造する一種の方法である。-夏目漱石(P.54)

GUM05_CL01063元同僚でいつも心から柔やかな方がいた。そういう方にいつも心が洗われる。先日、用事で元職場に電話した。『はい!〇〇高等学校です』『おのはらです』『私、〇〇です』とその柔やか元同僚が出た。『大変ご無沙汰です』等々・・・私はその方の声が聞けて、とても爽やか気持ちになった。不思議だ。

電車に乗るとき、ホームに上がった途端、目の前で電車が出て行くときがある。次の電車が直ぐに来る場合はそんなに思わないが、次の電車が10分後になると、取り急ぐ用も無いのに『えっ!もう少し早くホームに上がっていたら、その電車に乗れたのに』と悔やむことがある。自分の心が良く表れていると思う。その時の私の顔は『眉間にしわを寄せ、鼻の穴が上を向いている』と思う。

人にほめられる人よりも、人をほめられる人が賢者。(P.63)

人間、ヒマになると悪口をいうようになります。悪口をいわない程度の忙しさは必要です。-永六輔『職人』(P.63)

GUM05_CL11002前回の書(ようこそ初孫の巻)では、今まさに抱えている事柄に直面し、悩んでるところだったので、同感しながら読み終えた。しかし、この書(いい言葉はいい人生・・・)を読み同感できるが、一部、素直に行動できない自分がある。同感できるなら、少しでもそのような行動ができるようにしたい。が、感情が先で行動してしまう。それでも良いではないか。悟りを開こうとは思っていないし、ただ、残りの人生をいかに人様(まず家族)に迷惑をかけないように、アイデンティティーを確りと持ち行動することだと思う。

『誰かが失敗したなら、その本人を入れて、失敗の原因について大いに語り合った方がよい。このとき、間違っても相手の人格や人となりを攻撃しないこと失敗と人格はまったく別の次元の話だ』(P.64)

小さなことをほめよう。同じことでも何度もほめよう。(P.67)

やってみせ、言ってきかせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ。-連合艦隊司令長官 山本五十六(P.67)

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祝日法でも春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」とされ、秋分の日は「先祖を敬い、亡き人を偲ぶ日」と定められています。

出典 お彼岸の意味

気持ちを合わせるには、言葉を合わせれば簡単。(P.70)

GUM02_CL02010『私たち顔かたちが違うように、性格も千差万別である』同じような考えを持ていても微妙に違う。二人でいるときはどちらかが折れれば話がまとまる。3人いるとこじれることが多い。それ以上いると分裂が起きる。でも大切なのは話をしてコミュニケーションを取り方向性をはっきりとさせることだ。『そんなことできるなら、問題は起きないよ。できないから困ってるんだ』と言うだろう。思えば行動しよう。『よく考えずに行動すると更にこじれる』そうかな。何もせずにいるより、行動する方が前に進める。

うまく話そうとするとうまくいかない。普通に話そうとすればうまくゆく。(P.75)

GUM05_CL01084昨日、買い物に行ったとき、私の前にいた年配の方(多分70歳は超えていると思った)が、何か物を2個買ったのか『ニコニコ・・・買い物楽しいね』と楽しい会話。レジの方もその会話を楽しく受けている。お金を払ってお釣りを貰ったとき、その年配の方は『毎度ありがとうございます』と言って立ち去った。その自然な振る舞いは、今、お題を戴いてる『言い言葉は、言い人生をつくる』そのものだった。

(このブログについて“初孫日記(KIZUNA)へようこそ!”で説明しているように、必ずしも掲載内容は表題を必ずしも意味するものではありません。そのページを読み直しているが、ふと思ったこと感じたことを投稿しているので悪しからず)

第一印象は、訓練で変えられる。(P.79)

自分に自信がないなら、どんなに高価な服を着たって意味が無い。-オペラ歌手 レオンティー・プライス(P.79)

GUM01_PH05040私は少し猫背である。タオルを四つ折りにして枕にする。そして、板の間に寝るのが好きだった。すごく背筋が伸び気持ちよかった。今はそんなことをすると、背中が痛くて起きづらくなる。相当からだが堅くなっていると思う。

街を歩いていて猫背の人を見ると、自分自身の背中を伸ばすように無意識にしてしまう。世の中には“猫背矯正バンド”なる物があるようだ。

気配りに、「今度」という言葉はない。(P.84)

夫を持ったり、子どもを持ったりするたびに、人間の心の眼は開けてゆくものだよ。(P.86)-川端康成『結婚の眼』

映画「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」を観た。モノクロ映画だが、モノクロであるが故のストーリーの素晴らしさがあり親子の絆が見えた。

<あらすじ>頑固な老人ウディのもとに、当たれば100万ドルを贈呈するという手紙が届く。当たったと信じたウディは歩いてネブラスカ州を目指そうとする。高速道路に入ろうとするウディを見つけた警官は、直ぐさま自宅へ送り届ける。妻や周囲の声にも耳を貸さず、是が非でも賞金をもらいに行くといって聞かない。そんな父ウディを見た息子のデイビッドは、少しでも父の気持ちが修まるならと、車でネブラスカ州を目指す。途中、立ち寄った父の故郷で繰り広げられる人間の欲、また、父の元彼女が父と結婚できなかったが、前向きに取り組み地元で生活する老女の姿勢。そして、帰路で息子の取った行動が素晴らしかった。

YouTube 映画『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』予告編

人は友人の望み通りの人になっていく。望みの高い友人をもとう。(P.89)

ひとりでいることと孤独とはまったく違う。-アメリカの作家 エレン・バースティン(P.89)

GUM05_CL13043人間は孤独では生きて行くことができない。私はひとり暮らしをしている。義母はまだ独身の息子(次男)と一緒に暮らすことを望んでいる。私は保守的ではないと思うのですが、同じ屋根の下に成人した男性は一人でよいと思ってる。つまり、家長は二人いたらダメになる。だから、私の長男は成人になったとき、次男は大学を卒業したときに、それぞれ家を出て行った。私は『しっかりと一人前に成るんだ』と期待し、家から出て行くことを賛成した。だが、亡き妻はそうではなかったらしい。後で分かったことだが『一抹の寂しさ』というより、身を引き裂かれるような寂しさがあったようだ。私はもう『老いては子に従え』である。息子たちには何も言うことはない。しかし、対義であるが『老いたる馬は道を忘れず』も忘れず、いざといったときには縁の下の力持ちになれるように、いつも息子たちのことを考えている。また、一生懸命、親のことを考えて行動する息子の様は誇らしく思う。