人生に失敗がないと、人生を失敗する。(P.106)

どんなにベッドが暖かくても、そこから出なくちゃいけない。-アメリカの歌手 グレース・スリィック(P.106)

GUM08_TI06016昨日、百貨店で祝い袋を買いに行った。男性定員さん新米なのか。新卒でもなく要領を得ない30歳ぐらいの男性の定員さん。これで2回目である。

私『入学祝いです。お祝い袋をください』
定員『こちらになります』(いわれなくてもそこにあるのは分かる)
私『一番安いので良いです』
定員『はい。これでよろしいでしょうか』
私『はい』
定員『こちらにお客様のお名前と、お入れになる金額をお書き下さい』
私『すみません。渡すタイミングはいつ頃になりますか』
定員『聞いて参りますので、少々お待ち下さい』(要領を得ない定員に、私は少々いらついている)
定員『ご入学試験を受けて、合格されて、入学手続きを・・・』(マニュアルのように説明が始まった)
私『もう4月で、今日が入学式なんです!』(ちょっとムツッとして)
定員『入学が決まっておりましたら、早くても・・・』
私『3月でも良いんですね!』(ちょっと無愛想に、そこの百貨店のクレジット・カードを出す)
定員『翌月一括払いでよろしいでしょうか』
私『ポイントで!』(またもや無愛想に)
等々・・・やってしまった。まだ心が狭い私、反省します。

その定員さんは、お祝い袋を丁寧に内袋に入れ手提げ袋に入れている。その様子を見ながら『きちんと“ありがとう”をいわなければ』と思い、受け取ったときに『ありがとう』と素直な気持ちでいった。

2015年 新年度

GUM09_CL04008いつの頃か、私は春がとても待ち遠しかった。私の専門スポーツが水泳であるので、この四月から練習が始まる。もう嬉しくて仕方がない。でも、遊びでちょこっと入水するのではない。そこには想像を絶する寒さとの戦いがある。練習が終わり、幸いにも学校には小さなお風呂があた。体を温めにゆく。先輩たちが先に入り残り湯も少なくぬるくなっているが、幸せの一時であった。

学校に勤めて何年頃だろうか。温水プールが一般化して、スイミングスクールでの選手が出始めた。全国中学校大会、インターハイなど大きな大会に行ったとき、まだ炎天下での屋外プールだった。屋外で練習している選手と、屋内で練習している選手の違いが一目瞭然で分かる。大会代表等の話が少し長引くと、選手の中には体調不良を起こす者が出てくる。ちょっと驚いたが水泳競技大会方法の過渡期でもあった。今では大きな大会はすべて屋内プールになっている。

頭は一度は下げたほうがいい。でも何度も下げないほうがいい。(P.101)

GUM02_CL02111自分が悪いと思えば『素直な気持ちで謝る』。そして、先ずは自分の気持ちを抑え相手の思いをしっかりと聞こう。そこに自分との捉え方違いが必ず見つかる。そこから話を切り出そう。相手の捉え方が間違いであると思っても、それを否定するようなことをしてはいけない。相手も同じように『あなたの考え方が間違ってる』と思ってるからだ。

「チャンスさえくれば」と思ってると、チャンスはやってこない。(P.98)

やりたいことを、やれるときにやってしまえ。-生態学者 西丸震裁

GUM04_CL01001何もせず『極楽とんぼ』では何もやってこない。何も残らない。「ちょっとしんどい事が起きたな」「邪魔くさいな」と思うなら行動すべきである。そして、やるべきことをやったら、後は『果報は寝て待て』でノンビリと待とう。そうすると自ずから道は開け、自分の思うように進むことができる。

友達のように話そう。友達になれる。(P.95)

年のせいか、最近はよく涙する。頬が重力に負けてるように、涙腺も緩んでいるのは確かだ。

GUM12_CL03053昨日は、甥っ子の結婚式だった。結婚式から甥っ子の弟が涙している。披露宴に入った。同年代の男性も涙しているのに気が付いた。私がよく涙する状況を目にするのは、花嫁が感謝の気持ちを両親に伝える手紙を読んでるときの新婦側の女性友達だ。私も胸にグッとくる。結婚式で友達の男性が涙することは、今までになかったことだと思ってる。時代の流れで草食男子といわれる男性が多くなったためなのか。男性も慶び事で感情を素直に出せるようになってきたのは良いことだと思う。

披露宴の最後にビデオが流れ、これまでお世話になった方が字幕に出た。その中に亡き母の名前があった。目頭がとても熱くなった。

人は友人の望み通りの人になっていく。望みの高い友人をもとう。(P.89)

ひとりでいることと孤独とはまったく違う。-アメリカの作家 エレン・バースティン(P.89)

GUM05_CL13043人間は孤独では生きて行くことができない。私はひとり暮らしをしている。義母はまだ独身の息子(次男)と一緒に暮らすことを望んでいる。私は保守的ではないと思うのですが、同じ屋根の下に成人した男性は一人でよいと思ってる。つまり、家長は二人いたらダメになる。だから、私の長男は成人になったとき、次男は大学を卒業したときに、それぞれ家を出て行った。私は『しっかりと一人前に成るんだ』と期待し、家から出て行くことを賛成した。だが、亡き妻はそうではなかったらしい。後で分かったことだが『一抹の寂しさ』というより、身を引き裂かれるような寂しさがあったようだ。私はもう『老いては子に従え』である。息子たちには何も言うことはない。しかし、対義であるが『老いたる馬は道を忘れず』も忘れず、いざといったときには縁の下の力持ちになれるように、いつも息子たちのことを考えている。また、一生懸命、親のことを考えて行動する息子の様は誇らしく思う。

気配りに、「今度」という言葉はない。(P.84)

夫を持ったり、子どもを持ったりするたびに、人間の心の眼は開けてゆくものだよ。(P.86)-川端康成『結婚の眼』

映画「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」を観た。モノクロ映画だが、モノクロであるが故のストーリーの素晴らしさがあり親子の絆が見えた。

<あらすじ>頑固な老人ウディのもとに、当たれば100万ドルを贈呈するという手紙が届く。当たったと信じたウディは歩いてネブラスカ州を目指そうとする。高速道路に入ろうとするウディを見つけた警官は、直ぐさま自宅へ送り届ける。妻や周囲の声にも耳を貸さず、是が非でも賞金をもらいに行くといって聞かない。そんな父ウディを見た息子のデイビッドは、少しでも父の気持ちが修まるならと、車でネブラスカ州を目指す。途中、立ち寄った父の故郷で繰り広げられる人間の欲、また、父の元彼女が父と結婚できなかったが、前向きに取り組み地元で生活する老女の姿勢。そして、帰路で息子の取った行動が素晴らしかった。

YouTube 映画『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』予告編

第一印象は、訓練で変えられる。(P.79)

自分に自信がないなら、どんなに高価な服を着たって意味が無い。-オペラ歌手 レオンティー・プライス(P.79)

GUM01_PH05040私は少し猫背である。タオルを四つ折りにして枕にする。そして、板の間に寝るのが好きだった。すごく背筋が伸び気持ちよかった。今はそんなことをすると、背中が痛くて起きづらくなる。相当からだが堅くなっていると思う。

街を歩いていて猫背の人を見ると、自分自身の背中を伸ばすように無意識にしてしまう。世の中には“猫背矯正バンド”なる物があるようだ。

うまく話そうとするとうまくいかない。普通に話そうとすればうまくゆく。(P.75)

GUM05_CL01084昨日、買い物に行ったとき、私の前にいた年配の方(多分70歳は超えていると思った)が、何か物を2個買ったのか『ニコニコ・・・買い物楽しいね』と楽しい会話。レジの方もその会話を楽しく受けている。お金を払ってお釣りを貰ったとき、その年配の方は『毎度ありがとうございます』と言って立ち去った。その自然な振る舞いは、今、お題を戴いてる『言い言葉は、言い人生をつくる』そのものだった。

(このブログについて“初孫日記(KIZUNA)へようこそ!”で説明しているように、必ずしも掲載内容は表題を必ずしも意味するものではありません。そのページを読み直しているが、ふと思ったこと感じたことを投稿しているので悪しからず)