先日、孫の面倒を見ることになった。パパ(息子)は仕事、ママ(嫁)は友達と久しぶりにライブ・コンサートである。たまには息子の嫁にも家族から離れ楽しい時間を過ごしてもらいたいと思う。
午後4時頃にママに連れら孫二人が来た。上の孫はピアノの練習から始めようとしたが、やっぱり遊び始めた。しばらくすると、おもむろにピアノに向かい自ら練習を始めた。じぃじも横に座り一緒になって練習を始めた。まだ4歳でやり始めて数ヶ月です。ほっておきゃいいのに口出しをしてしまったのである。すると『難しい!出来ない!』と泣き出してしまった。余計な事を言ってじぃじは反省するも遅し。
写真は泣きじゃくる上の孫に下の孫があやしに来たところです。
泣きじゃくり少し寝たようである。30分ぐらい経ったかな、起きたようだが、また泣き始めた。どうすることも出来ない。下の孫が私の膝元に寄ってきた。すると泣きながら上の孫も寄ってきた。思わぬ上の孫の行動に、私は涙してしまった。何故自分が涙したか分からない。
夕飯の用意です。泣き続ける上の孫に『じぃじ、ご飯の用意していいですか』と訪ねたら『うん』とうなずいてくれた。孫二人の面倒を見ながら食事を作れないと思い、前日に作り置きしていた“肉じゃが”である。そうこうしているとパパは仕事から帰ってきた。
自分の存在を感じた時間だった。
私が結婚したのは23歳である。学生時代、周りを見たら大学4年次でもう子どもがいた者がいた。そして同棲してるのが二組、その一組は高校からの友人である。もう一組は大学の友人である。その下宿にいつも夕食を食べに行っていた。そして、4年次に卒業を待たずして結婚した者がいた。
表題のページの冒頭に『ほとんどの人はあまり深く考えないで生きています』とあった。図星である。自分が正にそれである。いいではないか。『その時を大切に生きれば』と思う。なまくらな時間を過ごすこともあるが、それでもいい。
高齢者が抱える不安は「健康、お金、孤独」とよくいわれます。健康とお金についてはすでに触れましたので、今回は孤独です。孤独に陥らないためにはどうすればいいのか。言い換えれば、どう生きがいをもって過ごすのかということではないでしょうか。
先週からギターの練習がおろそかになってる。なかなか上達しないので頭打ちになっている。
やらねばならないと思いつつ、そのままになっていた同窓会用メーリングリスト管理システムの構築だ。導入がとても簡単な『acmailer』と云うものがあった。無料で使用できる。
60歳以上で働いている人は年々増え、昨年で約1260万人。ほぼ3人に1人です。うち約7割は雇用者です。この年代の就労意欲は世界的にみても高く、働けるうちはいつまでもと考えている人は多いのではないでしょうか。
カテゴリー「人生の目的」を新しく作り投稿を始め、最初に『自分自身が人生の迷いがあるわけではないが・・・』と記したが、やはり生きて行く上に、迷いが無いわけでは無い。迷っても『あの時、こうしたのは正しい選択で、それが一番良かった』と自分に言い聞かせ、今までやってきた。
なるほど、自分に課した制限は沢山あった。それ故に自分が歩んだ人生を素直に見られないときがある。
毎年、年賀状の絵柄に海外旅行に行った時の思い出を載せている。受け取った友人は『こいつなぁ、いつも海外旅行の写真を載せてるんやで、こっちは汗水流して一生懸命頑張ってるのに、頭にくるわ!ほんま、うらやましいわ!』と言われたことがあった。友人だから言ってくれることです。いいでは無いですか。