ある教師の悩み(P.174)

「この先生の言うことを聞きたい」と思ってもらえるような魅力や力というものがその先生にあったら、生徒は勉強する(P.176 L.7~8)

その先生が、好きな先生で、良い先生だな、と共鳴共感を覚えるとき、その先生に好かれたいと思う(P.177 L.5~6)

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私は1983年から2年間幼稚園児を体育専科で教えに行った。園児からすると園児より高く飛び、想像を超える動きに園児は驚く。後で担任から聞いたが、私はスパーマンだった。また憧れの先生だった(園児が大学を卒業して教師として自分の学校に戻ってきたときに教えてくれた)。

人間力(P.184)

「好かれる」ポイントをひとことで言うと、「人間力」、総合的な「人間力」(P.184 L.7~8)

「そういうこともあるさ。人生が全部思う通りにいくわけはないんだ」(P.185 L.12)

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(出典:女声の美学

人間力とは実は文部科学省によって提唱されている力で、簡単にまとめると「社会の一員として、自立した人生を送っていくための力」です。

この人間力には3つの構成要素があり、「知的能力要素」「社会・対人関係的能力」「自己制御的要素」がその要素にあたります。これら3つの要素は、どれか一つが突出していても人間力が高いとは言えません。3つの要素それぞれをバランスよく持っている人が、「人間力が高い人」と言えるのです。そこでまずはこれらの要素がどういうものなのか、それぞれをもっと具体的に見ていきましょう!

知的能力的要素

知的能力的要素は、言わば学校で習得するような一般的な教養としての知識や、資格などの専門知識をしっかりと持っているということです。さらにそれらの知識を実際の生活や仕事の場面で活用していったり、常に知識をアップデートしていったりすることができる、という要素になります。

また知的能力的要素には「論理的思考力」や「創造性」といった力も含まれています。そのためこの要素がしっかりと身についていると、仕事の際にも「話が分かりやすい人」「クリエイティブな発想ができる人」といった印象を与えやすくなるのです。

社会・対人関係力的要素

この要素では、仕事や対人関係に不可欠とされている「コミュニケーション力」が含まれます。コミュニケーション力が高い人は、意識していてもしていなくても相手のことをよく観察していて、それぞれの相手や状況に適したコミュニケーションをとれている場合が多いです。

相手や状況を適切に認識して行動できることは、リーダーシップや周囲からの信頼を形成していくための重要なポイントになります。

自己制御的要素

自己制御的要素というものは、他の2つの要素を伸ばしたり実際に力を発揮したりしていくためのモチベーションや、自己実現に向けて努力をしていくための力になります。この自己制御的要素が足りないと行動や思考が自分本位になりやすく、周囲への配慮が欠けてしまう場合が多いです。

先2つの能力を十分に発揮し、自分が納得できる自分らしい生活をしていくためにも、しっかりと身につけておきたい力になります。
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名前の呼び方が人格の修練の始まり(P.190)

自分が「いかに偉そうにならないか」というのは、まず、人を呼ぶところから(P.191 L.3~4)

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(出典:ゆかしく堂のブログ

「敬称」の由来とは

人を呼ぶ時に、その人の姓名を呼び捨てにしないで、「さん」や「さま」、あるいは「くん」をつけます。これを「敬称」といいます。

今日は、日本語のなかでも分かり難いものの一つである、敬称についてご案内しましょう。

「さま」というのは間接表現で、お内裏さまの「さま」ですので、姿ということです。また「おまえさま」というのは、「御前」と書きます。その人の名を直接言わないで、その方の前の場所をいうわけですね。「さま」と同じ意味です。

やがて、それが進んで「との=殿」という継承があらわれます。これは身分の高い人に使われますが、もともとは高い床に住んでいる人の意味で、建築物からきた言葉です。それが「どの」になり、もっと訛ると「どん」になるのです。おさんどん、西郷どんなど、これはこれで立派な敬称です。

次に「きみ=君」という言葉です。

これを使いはじめたのは、江戸時代の漢学者たちです。だれそれ「くん」と呼ぶわけでね。それに対して自分のことは「僕」になります。これは卑語です。つまり「しもべ」や「やっこ=奴」というわけです。昔の文楽のセリフなどをみると、自分のことを「やつがれ」などといっています。「やつ」で「がれ」というのは複数形ですから、結局、「やつがれ」は卑語の卑語ということです。

「さん」は「さま」の訛ったものです。

また、「ちゃん」は「さん」の幼児語。子供言葉です。

また「あなた」は、「あるかた」という尊称が、やはり訛ったものです。

ヨーロッパでは、人称固有名詞に対して、ミスター、ミセス、あるいはミスという敬称をつけますが、相手に対して直接表現しなかったり、あるいは相手を建物の大きさで表現したりするのは日本にのみ特有な発想です。

テレビを見ていると、「うちのお父さん」などとタレントが言ったり、また自分の会社の同僚を人に紹介するときに、「社の佐藤さん」と言ったりするのをよく耳にしますが、これらはみな誤りです。

敬称は、あくまで「外部」の人を呼ぶ時に使うもので、身内や同僚には使わないのが原則です。
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生徒から「好かれる」ために(P.194)

卒業生と時間が経って昔のことを話すると、驚くほどに『子どもはよーーく大人を見てる』と感じることがある。『子どもを見下してはいけない』我が孫のように、小さな子どもでも同じである。

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(出典:母が笑顔になるとみんな幸せ♥中井恵美のつれづれ日記。
(出典:生徒から好かれる先生、嫌われる先生の違い(長女談)

子どもはよーーく大人を見てる。

大人が、先生が何を一番大切にしているか。

嫌われる先生は、話を聞く限り自分の事しか考えていないよね。

好かれる先生は、生徒にとっての最善の利益をよーーく考えてる。

嫌われていたけど、今は好かれている先生は自分の何がダメで、どうしたらいいの勇気を出して向き合って、改善し、結果を出した。

子どもたちは大人が思うよりずっと寛容だ。

ちゃんと現実と向き合い、努力を惜しまないと分かれば最初嫌っていても、むしろ応援までしてくれる。

大人は大人だからと言って子どもを見下してはいけない。

努力を怠ったままでは、決して尊敬はされない。

子どもを「ひとりの人」として尊敬し、尊重しなければ決して彼らは心を開かない。

そして、諦めないって、大事。
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子どもを抱きしめる(P.196)

「親に抱きしめられる時間が少ない子供が、病気になったり、熱を出したりするらしい」(P.198 L.7~8)

抱きしめろ療法をやることで、生徒たちがとても落ち着いておだやかになった(P.199 L.11~12)

不思議なことがあった。

下の孫がお兄ちゃんに力ずくで押さえ込まれ、身動きができず泣きじゃくったことがあった。数分だったと思うが、もうこれ以上はダメと思い、泣きじゃくる下の孫を抱き上げ、暫く抱きしめた。

すると下の孫は私の胸の中で親指をしゃぶりだした。

 

 

「楽しい子育て孫育て」のブログを終了します。