「食べるときは、ひじをつかないほうが、かっこいいよ」「靴を脱いだら、そろえておくと気持ちがいいね」(P107L4~6)
マンションに変わってから8年目である。昨年は輪番で廻ってくるマンション理事会の理事をした。しかし、そんなにマンションの方とコミュニケーションが取れたとは思わない。それよりか、昨年の理事の方とマンション内で会うと、今まで以上に笑顔であいさつする方と、理事の時とは打って変わってはっきりとあいさつされない方に二分してしまった。何だろう?
以前住んでいた地域に戻ると、近所の方とちょっとした世間話になる。でも、今年は孫ができ、同じ階のお母さんと少し話しするようになった。「大きくなられましたね」「私の孫は、まだ3ヶ月です」等々・・・と簡単な言葉を交わすだけであるが、嬉しいものである。
孫の世代の育児を楽しみ、地域にも貢献するこうしたおじいちゃんを、NPO法人「ファザーリングジャパン」(東京都文京区)は「イクジイ」と定義。これまで育児に積極的に参加する男性「イクメン」を応援してきたが、今春、孫育て講座やジジ料理講座を開く「イクジイプロジェクト」を立ち上げた。 (ホームページ:おうまのおやこ通信Vol.205から転記)
最近の車を見ると、ほとんどナビが付いてある。とても便利な装置である。昔はナビが無くても、よく運転したものだ。知らないところに行くには、予め地図をしっかり見て、ある程度頭に入れておく。そして太陽が出ていれば、大きく道を間違うことはなかった。アメリカでドライブの旅をしても同じであった。ロスに住む人でも、ダウンタウンを抜けるのは大変だそうだ。日程に余裕がなかったので、自分が運転する車で、午前中にナッツベリーファーム、午後はユニバーサルスタジオに行ったこともあった。今はナビがなかったら、たちまち困ってしまう。

(昭和30年代)古釘を集めて、金属を回収しているところに持って行く。お小遣いになった。町で電気工事をしている人に余った銅線を、丸いアンテナのように綺麗に細工したものをもらったことがあった。家に持って帰ったら、『どこから取ってきたのか』と泥棒扱いされた。その時代の銅は大変貴重品だった。
徒歩15分以内に、スクールバス数台を持つ、大きな幼稚園が二つある。よく、その一つの幼稚園の前を通る。初めは園児の迎えだと思ったが、その様子はなく数名の若いお母さんが、子どもの様子を携帯電話(写真・動画?)に収めている。何となく気持ちは分かるが、子どもと離れると母親はそうなるのかな?徒歩3分の小学校は、親御さんが校庭の中に入って、子どもを見守っていた。さすがに校庭では携帯電話等で撮影はしていない。私の部屋からは、その小学校の校庭はよく見える。
家内の場合、梅田に映画を観に行った時だ。家内は映画を観ながらポテトチップをボリボリ食べていた。ちょっと気分が悪くなったので廊下に出た。様子を見に行ったが、大丈夫とのこと。私は、つわりの始まりとは気が付かず、てっきりポテトチップの食べ過ぎと思い、シネラマの大画面で “ベンハー” を最後まで観ていた。今でも、その時のことを云われる。デリカシーのない私、反省しています。
息子の嫁がお世話になった産婦人科は、母親教室からエアロビクス等の教室がある。胎児も安定してきたところ、エアロビクス等の運動系に参加していた。安心した。
「帝王切開で出産したら、一人前の母親になれない」(P120L10~11)
母乳育児を推奨する立場からいうと、赤ちゃんが欲しそうにしていれば、そのつど、授乳したほうがよい(P121L5~6)