子「ママ、これ買って!」
親「後でね!」
何気なく交わした親とこの会話、よくあることでは無いでしょうか。後で買ってあげるなら、これでいいでしょう。しかし、子供が愚図るのを避けるために交わした会話なら、問題は残ります。子供は覚えています。
子「ママ、これ買って!」
親「後でね!」
何気なく交わした親とこの会話、よくあることでは無いでしょうか。後で買ってあげるなら、これでいいでしょう。しかし、子供が愚図るのを避けるために交わした会話なら、問題は残ります。子供は覚えています。
相手を「大切に思う度合い」や相手への「恋愛の深さ」が大きいほど、人は相手の世界に「踏み込み」たがり、「知り」たがり、結果として、近づきすぎる(P.83 L.7~9)
時々思うことがある。
「優しい人」とは。
そして、「人を蹴落としてでも上に上がろうとする人」に憧れることがある。そうしたら管理職にでも成れたかな。そんなことができない自分の過去に変な思いを抱いてしまう。
退職後に新しい友人ができ、今の生活が安定して自分の好きなことができているが故の間違った考えであろう。
「あなたは、とても優しい人に育ってくれたのね。今のあなたは、その優しさでそうなってるんだから、優しさをねじ曲げないで、そのまま優しい人に育ってください」(P.93 L.10~13)
私は中学から部活動中心の生活だった。その頃から上下関係が付き始めた。高校はスポーツで入学したため、上下関係がはっきりした世界です。上級生から呼ばれると二つ返事で行動しないと大変な事になる。自分が上級生になり、下級生を呼ぶときは、もちろん呼び捨てだった。それが就職してからも続いた。
「ん」の不思議(P.67)
何々くん、何々さん、何々ちゃん等々である。孫を呼ぶときは呼び捨てである。もちろん息子を呼ぶときも。何かの機会に変える方が・・・と思うが、実行できない。
人柄が愛されれば、その人は社会で容易に生きていける(P.105 L.4)
「愛される人」の方が楽に生きられる(P.105 L.12)
「人と競わず」
「人とくらべず」
「人と共存しながら」
生きていく。これが本来の人間の生き方のようです。
ちょっと疲れたかな?
もう少し自分の往く道(方向)を考えます。
投稿は「自由投稿」とします。
親だから偉い、と思うのではなくて、相手から信頼されて、慕われるという関係になった方が良い(P.119 L.1)
「やわらかな、温かい人間関係を作ること」(P.117 L.12)
「有難う」というのは、その人の「あるがまま」を全部認めてあげるということ(P.118 L5)
正しいものが勝つのではなく、
「あたたかいものが勝つ」(P.119 L10~11)
どんなものであれ、「それがエネルギーだ」と思っている人にとってのみ、エネルギーになる(P.123 L.12)