「人と競わず」
「人とくらべず」
「人と共存しながら」
生きていく。これが本来の人間の生き方のようです。
「人と競わず」
「人とくらべず」
「人と共存しながら」
生きていく。これが本来の人間の生き方のようです。
人柄が愛されれば、その人は社会で容易に生きていける(P.105 L.4)
「愛される人」の方が楽に生きられる(P.105 L.12
)
私は中学から部活動中心の生活だった。その頃から上下関係が付き始めた。高校はスポーツで入学したため、上下関係がはっきりした世界です。上級生から呼ばれると二つ返事で行動しないと大変な事になる。自分が上級生になり、下級生を呼ぶときは、もちろん呼び捨てだった。それが就職してからも続いた。
「ん」の不思議(P.67)
何々くん、何々さん、何々ちゃん等々である。孫を呼ぶときは呼び捨てである。もちろん息子を呼ぶときも。何かの機会に変える方が・・・と思うが、実行できない。
昨日、孫が久しぶりに来た。下の孫が「公園へ行こう」。上の孫は「お腹痛いし、いかへん」。尽かさず「えっ!お腹痛いの?さっきアイスクリーム食べたやん」。上の孫は苦笑いをしながら付いてきた。
30分ほど経って「そろそろマンションに帰ろう」。上の孫は「いやや!もうちょっと遊ぶ」と。気温は高かったが、酷暑でもない。子供は元気だ。一時間ほど公園で遊んでマンションに戻った。
「あなたは、とても優しい人に育ってくれたのね。今のあなたは、その優しさでそうなってるんだから、優しさをねじ曲げないで、そのまま優しい人に育ってください」(P.93 L.10~13)
時々思うことがある。
「優しい人」とは。
そして、「人を蹴落としてでも上に上がろうとする人」に憧れることがある。そうしたら管理職にでも成れたかな。そんなことができない自分の過去に変な思いを抱いてしまう。
退職後に新しい友人ができ、今の生活が安定して自分の好きなことができているが故の間違った考えであろう。
相手を「大切に思う度合い」や相手への「恋愛の深さ」が大きいほど、人は相手の世界に「踏み込み」たがり、「知り」たがり、結果として、近づきすぎる(P.83 L.7~9)
子「ママ、これ買って!」
親「後でね!」
何気なく交わした親とこの会話、よくあることでは無いでしょうか。後で買ってあげるなら、これでいいでしょう。しかし、子供が愚図るのを避けるために交わした会話なら、問題は残ります。子供は覚えています。
子供は、自分では制御できない感情を、母親なり父親が制御できるのを見ると、ものすごく尊敬します。その状態を「大人」と言います。逆に、感情が制御できていない状態を、「子供」と言うのです。(P.79 L.2~L.5)
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自分でも制御してるつもりだが、その感情を何かの形で消化しないと問題が残る。
今年の4月、初めて自分で車を買った。今まで家庭に親の車が必ず一台はあった。自分の生活圏(神戸市)では特に車の必要が無かった。たまに親の車を借りドライブ気分で乗っていた。仕事を辞めてから、小野市、西脇市等々に行くようになった。どうしても車が必要である。もちろん、車は今住んでるマンションに一台ある。平日に息子が使って、週末は私が使う。といった感じであった。
そのうちにお互い使う日が重なるようになった。その場合、私がレンタカーを借りるようにしていた。年間10回も借りない。10回借りたとしても10万円ほどである。レンタカーの方が経済的である。そんなに必要に駆られたのでは無いが、あれば便利だと思い購入した。
3ヶ月が過ぎた。何か自分の新しい世界にが見えてくるようになった。つまり、その空間(車内)は自分の世界である。いい音楽を聴きなから涙することもある。雨の日もその空間は、雨に濡れない素晴らしい環境である。文明の利器を感じている。
今日の帰路、スイスイと運転していた。後ろから警笛を鳴らされても、我が物顔で道路を走る。そして、Uターンした。もちろん安全を確かめの運転である。しかし、その運転を考えてみると、『相手は止まってくれる』といった見なし運転である。ダメである。慣れの恐ろしさである。今一度、安全には安全を重ね運転しよう。